2009年10月30日

ドンが死んだ

ウチの猫のドンが死んだ。

病気になって1年が過ぎ
少し快復したかに見えていた体は
やっぱり、どんどん悪化していた。

ごはんが食べられなくなって1週間になり
水も飲めなくなって
もうダメかもしれないって思ってた。

でも何とか望みがあれば・・・

そんな期待もむなしく
今日が最後になってしまった。

1年以上もよく頑張ったよね。
痛みも辛さも、タダじっと耐えて
点滴したり、苦い薬を飲んだり
そんな毎日ならきっとイヤだよね。

生きて欲しいからいろんなあの手この手で
助けたいって思ったけど
老衰だから、治ることはあり得なかったし
腎臓の快復だってあり得なかった。

だからずっと、命のこと考えてた。
本当は何が一番いいんだろうって。
治療は延命措置と同じなのか、
苦痛を長引かせるだけじゃないのか、
それとも人のなすべき
最善のことなのか。

死に分かれたくはないし
元気な姿に戻って欲しいとは思っても
何度も辛そうな場面になると
くり返していることが罪な気がしてくる。

死んで苦痛から解放されて
再び新しい命に誕生するのなら
死に向かうばかりの病気を長引かせたくない。

でも親切なお医者さんに診てもらって
最後は入院もさせず、家族で一緒に過ごせたことは
とても幸せだったのかもしれない。

家族みんなで落ち込んでしまった。
可愛くて可愛くて大好きな家族だったから
大切な存在だったって改めて思う。

ごめんねとありがとうが交差する。
やっぱり死は悲しすぎるよね。
残されている家族の方が
本当は一番辛いのかもしれない。

私がもし病気になっって
手の尽くしようがなかったら
今の私の考えでは、延命措置はいらない。
苦しい環境で命を長引かせるより
あっさりと死んで
宇宙の大いなるエネルギーと結ばれて
再び新しい命を得て再出発する方がいい。

きっと今ごろ彼は
新しい命のために
あれこれ計画しているのかもしれない。
posted by ネロリ at 02:03| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ネロリの Cafe Poem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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